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魂の墓

「死」にはふたつの種類がある。

ひとつは肉体の死。もうひとつは魂の死。

一般にいわれるのは肉体の死である。
肉体は簡単に死んでしまう。銃で撃ち抜かれただけで死んでしまう。

魂もまた簡単に死んでしまう。
言葉は「言霊」といって、魂を癒しもするし、傷つけもする。
言葉の銃弾が魂を貫いたら、魂は簡単に死んでしまう。
肉体は生きているのに魂は死んでしまっている人間はたくさんいる。

これを読んでいるあなたの魂はまだ生きているだろうか。

人間は太古の昔から、死者を敬うために墓を作ってきた。
エジプトの王の墓、ピラミッドは有名である。
日本にも古墳という立派な墓がある。
有能な権力者でなくとも墓は作られてきた。人間は死んだら誰でも墓に入れられる。
正式な墓でなくともいい。穴に埋めてなにかしらの装飾を施せば、それで立派な墓になる。
肉体のための墓は世界各地にいたるところにある。

しかし、魂の墓は存在しない。
魂の死についてはあまり語られてこなかったからだ。
肉体の死は敬い、魂の死を敬わないといのはどういうことか。

立派な人間の魂は死なない。
肉体は死を免れないが、魂は永続することができる。
「人はいつ死ぬ と思う?・・・それは、人に忘れられたときだ。」というドクターヒルルクの有名な言葉があるが、この死こそ魂の死である。
裏を返せば、人に忘れられない限り魂は生き続けるのである。

黒澤明の魂も松田優作の魂も尾崎豊の魂も、今もずっと生き続けているのである。

魂が死んでしまう人間というのはだから、それほど価値のない魂ということである。
敬うに値しないのである。
ましてや、肉体は生きているのに魂は死んでしまっているような人間なんて、、
だから魂の墓というものは存在しない。

あなたの魂は永続できるだろうか?
私の魂は永続できるだろうか??

魂の墓は存在しないと書いたが、実は存在する。
世界にたったひとつだけ。
インドのナンジャーラという地に魂の墓は存在する。

その昔。敬虔なる仏教徒のひとり、スイクンは魂の死について考えた。
肉体の死以上に、魂の死は悲しいものである。
孤独の魂は行くべき場所もなくただたださまようばかりである。
悲痛の魂を癒す場所が必要だ、と考えた。

ナンジャーラは秘境中の秘境である。心無い人間に荒らされないために秘境を選んだのだ。
スイクンは岩山に囲まれたその地のちょうど真ん中に、仏を彫刻した。
仏の彫刻は三日三晩続いた。
食事も睡眠もとらずに彫刻し続けたスイクンは、仏が完成したとき疲労の極みに達していた。
その場で眠りに尽きたいと肉体は欲していた。
しかしスイクンは立ち上がり、一刻も早くナンジャーラを立ち去ろうとした。
ナンジャーラは魂の墓だから、肉体の死がそこにあってはならない。そう考えたのだ。

岩山を越え、険しい道を越え、ナンジャーラを離れたスイクンはその刹那に倒れ、永遠の眠りについた。肉体はそのとき死んだ。
いや、肉体はとっくに死んでいたのかもしれない。死んだ肉体を魂だけが必死に運び出したのかもしれない。
スイクンの魂は、スイクンの魂は誰の心にも残っていなかった。
スイクンは孤独だったのだ。
だからこそ魂の墓を作ろうとしたのである。

スイクンの魂は誰よりも早くナンジャーラに着いた。
そして、スイクン自身が彫刻した仏に宿ったのである。
ナンジャーラを守る魂として。
悲痛の魂を癒す魂として。

世界にたったひとつだけ存在する魂の墓、ナンジャーラ。
世界中の孤独の魂がナンジャーラに集まる。
秘境中の秘境であるが、孤独の魂は不思議とナンジャーラを見つけ出す。
そこにはスイクン仏の魂の癒しがある。
孤独の魂は孤独ではあるが孤独ではなくなるのである。

私が死んだとき、私の魂はどこにいくのだろうか。
あなたの心に残るだろうか。
それともナンジャーラに向かうのだろうか。。
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テーマ : 自作小説
ジャンル : 小説・文学

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Author:54notall
横浜国立大学マルチメディア文化課程。
爆笑問題太田さん、ダウンタウン松本さん、B'z稲葉さん、ラルクHYDEさん、椎名林檎さん、マイクル・クライトン、、に強く影響を受けています。
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